「明日のたりないふたり」をギリギリで視聴した。
ちょうど忙しい時期に被ってしまっており、まとまった時間が取れそうになかったので諦めかけていたのだが、アーカイブ延長の報を聞き、これはと思い視聴した。
具体的な内容に触れるのはアレなのでやめておくが、見て良かったな、と思うと共に、考えさせられた。
Google カレンダーに登録だけして結局チケットが取れなかった三遊亭円楽・伊集院光 二人会の通知が来ていた(消すのを忘れていた)。
伊集院光さんのラジオに勝手に色々と救われた(そして今も救われている)ところがあるので、そういう思いも含め行きたかったのだが、残念。
配信を望む声もあったそうだが(自分も Twitter で結構目にした)、生のみで、お客さんを目の前に、ということの大事さを大切にしていらっしゃっるのがラジオを聴いていると伝わってくる。そういう姿勢の方がいらっしゃるのは本当に嬉しく思う。
(今回の話に限らず一般的な話として)こういうご時世になってから、配信も増えたし、何ならこのご時世にどうして配信も付けないの、ともなりつつあるような気がしている。
しかし、生で対峙する大事さをこれまで経験してきているだろうに、配信やってくれと簡単に・気楽に声をあげるのは野暮ってもんですよ、と個人的には思う。自分も配信にお世話になってきてはいるので*1一貫していないだろと言われてしまえばそれまでだけれど。
(なんというか配信というものを否定したいという意図ではなくて、生・対面が難しくなって、そういう状況から離れつつあるけれど、そういうときでも・だからこそ、生で対峙するあの感覚を大切にしていきたいな(少なくとも自分は(= これを誰かに押し付けるわけではないが))、ということです。)